当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり ブランド箱のついてないものがありますので その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて バカラ社に 発注しております。B品 ブランド箱無しありません。
ブランド箱
主だったお店を調べましたが お安い新作だから皆(当店も最後に)売り切れており 追加オーダーしょうにもお高くなりすぎて どこも入れられないのか お熟成アインがやせ我慢でオーダーし再入荷 しましたので 一番お安いことになります。
(スモールサイズを持っているお店が一軒ありますが もちろんそれよりもお安くしております。)
それでは お熟成アインは 何故 お安くできるのでしょう ? それはバカラ社を出てきたままの真正な姿でありながら 売るのが下手だからです。大概のお店は 色々な宣伝広告に金をかけたり ポイントで釣ったりして上手にお高く売られました。売り下手のアインは ひたすらお熟成 お値打ちのつくのを待ちます。だからいつの間にか 一番お安くなるのです。お熟成アインの真骨頂 ! !
お熟成価格は 安くて美味しい。お熟成ワインは ボージョレヌーボーより美味しいですが プレミアムが付いた分 高くなる。何故 お熟成アインは 安くなるんですか ? お熟成のプレミアムも お客様に差し上げているからです。
1825年にアルクール公爵の求めによりデザイン
バカラお得意の 深いフラットカット
ナポレオン1世、遠征に持ち歩くことのできる堅固かつエレガントなグラス
1917年には法皇ベネディクト15世により バチカンでも採用
原作 トーマ・バスティード
芸術的な家庭環境の中で(母は画家、父は作家)、幼少の頃からクリエイティビティを発揮していたトーマ・バスティードは、容積というかたまり、つまり“三次元”に対して強い興味を持っていました。彼は情熱のおもむくままに、グラフィックアートの専門学校にてアートとデザインを学び、フランス国立高等工芸美術学院ではインダストリアルデザインを専攻しました。プロとしての初めての仕事では、デザイン界のセレブリティであったレイモンド・ローウィに接しました。1981年にバカラに入社、現在に至るまで、主幹デザイナーを務めていますが、他のブランドとのコラボレーションも行っています。フランスの国際ガラス造形美術研究センター およびアメリカのシアトルにある有名なピルチャックグラススクールにて彫刻家としての技術を磨く傍ら、パリの自宅に工房を設置して、グラスの透明感にコンクリートや金属を組み合わせた彫刻を制作しています。
彼がバカラのためにデザインした作品は、ベースから大胆な彫刻作品まで幅広いコレクションを有しています。このコレクションには、成功を収めている数多くのビジュウも入っています。彼の名声は欧米においてますます高まっており、1989年には彼の「ネプチューン」コレクションのベースが「国際テーブルトップアワード」のデザイン賞を受賞しました。また、彼の作品はフランスの芸術に関心が高い日本でも人気です。
1993年 トーマ・バスティードによる シンプルな 手になじむデザインの新作
クリスタル(人工水晶)の王者 バカラ
透明なクリスタルに 条理(溶融対流)のゆらめきが
通電溶融のガラスに無い 深い重厚感をかもします。
原作 トーマ・バスティード
言うまでも無くアルクールは バカラのアイコン
1825年にアルクール公爵の求めによりデザイン
1917年には法皇ベネディクト15世により バチカンでも採用
バカラ 【アルクール イブ ブランド箱 2802】 582 赤白兼用グラス H18cm
黒背景写真 ブランド箱
1764年 当時、フランスは打ち続くナポレオン戦争の終焉冷めやらず、経済的疲弊から 復興のために、フランス東部のロレーヌ地方統主であるモンモランシー・ラバルは ガラス業界への参入を考案し、 国王のルイ15世に ガラス工場設立の認化を求めて承認され パリから約400km東にある ロレーヌ地方のバカラ村(人口約5000人の村の働き手の半分が 美の創造の担い手)に、ガラス工場がつくられたのが輝きの歴史の始まりです。1817年、本格的なクリスタル制作を開始 1823年のパリ国民博覧会では そのクリスタルの透明度の高さと繊細なカットの巧みさが認められ 金賞を受賞。以来、ルイ18世を始め世界の一流人士のご愛好は 枚挙に暇がありません。現在まで マキシム エリゼ宮など 世界の一流品の集まるところに クリスタルは バカラが 所を占めております。
今でもフランスで製造されるクリスタルの約半数はバカラの制作品です。完璧のポリシーのもと、その技術の高さは約40名以上の「MOF(フランス最優秀職人)」を輩出ししているのでも 証明されています。