ケンドラー原作 1740
1731年 見出されたケンドラーは 案に違わず 見事な 鳥獣像を 王の磁器動物園のために
完成させました。王は 己の眼の確かさに満足し 若きケンドラーを 親方に抜擢しました。
写実的迫力ある白磁像を前にして 宮廷官ヘロルトは 天才絵付師の立場が 脅かされる危機
感を持ちました。眼力を賞賛された王の ケンドラーへの寵遇にも 今まで マイセンの賞賛
を 一身に浴びてきたヘロルトにとって 好ましからざる事でした。しかし ヘロルトのシノ
ワズリも 月日を経て ケンドラーの新鮮さに 叶わなくなっていました。ケンドラーを贔屓
にするブリュール伯(ヴィルトシャフテン・山羊に乗った仕立て屋さんの注文主)が 「白鳥
のサービス」を 注文する頃 2人の優劣は ケンドラーに軍配が上っておりました。
お熟成価格は 安くて美味しい。お熟成ワインは ボージョレヌーボーより美味しいですが プレミアムが付いた分 高くなる。何故 お熟成アインは 安くなるんですか ? お熟成のプレミアムも お客様に差し上げているからです。
1996年
今から 25年前 ドイツ・ハンブルグのマイセン代理店の依頼を受け 30体の人形を引き受けました。ケンドラー渾身の原作を丁寧に復刻した45年前(1973年)の作品で 当時は勿論 今ではこれだけの精密な造形と絵付けは おいそれとは望めないでしょう。
1973年
3月20日 - 熊本地方裁判所、水俣病訴訟で、チッソ水俣工場の廃液が原因であったことを認める判決。
主だったお店を調べましたが この少年像は お熟成アインにしかないようです。
こんなネオクラシックのケンドラーの人形が お熟成アインでは何故 お安いのでしょう ? それは売るのが下手で 昔の作品がまだあるからです。大概のお店は 色々な宣伝広告に金をかけ ポイントで釣ったりして上手にお高くさばいていかれます。売り下手のアインは ひたすらお熟成 お値打ちのつくのを待ちます。お陰で 今では これだけの美品は手に入りません。お熟成アインの真骨頂 ! !
中世 ドイツ王宮に伝わる ヴィルトシャフテン
1740年代のある朝 国王が 村祭りの少年村長姿で 登場すると 男女廷臣たちは 籤で役割をきめて 村祭りの少年・少女村人に仮装をして遊ぶという 1日がかりの大宴会。 人形は総て 実在の人物(さしずめ この男性は アウグスト強襲王の 庶子の1人かも)の模写で 髪の毛1本1本 目は睫毛まで 手の指は勿論 足の指1本1本にも 表情を見せており 実に精密・精巧に作られております。服装も 色を塗るだけでなく 細やかな 花や 模様を 服の襞まで 完璧に描いております。 ケンドラーは 登場人物 総てを 人形にして 次の宴会を盛り上げました。有名な 「山羊に乗った仕立て屋さん(陽気なテラー)」も やはり 実在の人物を 模したもの。 当店には ブリュール伯と ケンドラーによって 茶化された この仕立て屋の 復刻人形 それも 1999年 世界限定 19体という 途方も無いお宝がございます。
この一連のケンドラー作の人形は ヨーロッパにおいて 高い評価を受け 宴会や 部屋の装飾用に 上流階級のステイタスシンボルとして 持て囃されておりました。 閨の秘め事を 婉曲に クリノリンスカートから 覗くパグ犬に語らす趣向など 知らねば 野暮な雛の人と 蔑まれるのが落ちでした。 やがて 富裕階級でも アウグスト強襲王の恋人達が演じる 子供園芸家や パリの 行商人や コメディデラルテの 人形を持つことが流行しました。マイセン磁器から 型取模したチェルシー窯の人形は 中産階級に そして地方の名も無き窯まで 庶民 の求めに つましい人形を 供するほどの 流行を見ました。
アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。
ドイツには 個人財団のマイセン美術館がたくさんあります。
そこには当時最高のぺインターさんの作品が蒐集されております。
今でも メッセに出てくる よい作品は ドイツの大物政財界人や 蒐集家の手におち 私など あちこちに手を回し よい作品を 愛好家のために 苦労して蒐集しております。私の持論ですが アンティークは古いから良いのではありません。古の刀剣 正宗や 村正などには こんなに科学が進んだ現代でも おいそれとは並べません。今では 技術や伝承が廃れ 美の再現の困難なものこそがアンティークの値打ちではないでしょうか?
当店
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナと 賞賛した白磁です。やがて14世紀には 染付の完成を見ます。東洋では 1000年の長きに亘る 多くの職人の勘と 経験を積み重ねた 結晶の賜物として花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師ベドガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウスの 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ ベドガーの西洋的手法の 優越性は 個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。