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商品コード:
RGRB3875

リチャードジノリ 【ローズブルー】 クリーマー 115cc  10%Off

通常価格(税込):
14,300
販売価格(税込):
12,870
関連カテゴリ:
ジノリ1735/ リチャードジノリ > ベッキオ・ローズブルー/ ロゼリーニ

 
「アプローズ」青いバラ
青いバラ6
長い間、青いバラは世界中のバラ愛好家の中では夢とされていて、英語でのBlue Rose(青いバラ)は、「不可能」といった意味さえ含まれるほどであった。本来のバラの持つ赤みを徐々に抜いていき、青に近づけていくという手法が主流であったが、バラにはそもそも青の色素がないことがわかり、厳密な意味での「青いバラ」を品種改良のみで作ることが不可能と判明した。やがて、「青いバラ」の作出は「遺伝子組換え」などのバイオテクノロジーにゆだねられることとなる。そして、アントシアニンの細胞内局在場所である液胞の酸性条件下でも青色色素であることの多いデルフィニン/デルフィニジンを作り出すために必要な酵素の遺伝子のcDNAをパンジーから単離して遺伝子導入することにより、この「青いバラ」は誕生した。着手から14年の歳月を費やした。
「アプローズ」青いバラは、日本のサントリーフラワーズとオーストラリアの植物工学企業である 現フロリジーンとの共同研究開発により、世界で初めて完成した青色の色素を持ったバラである。遺伝子組換え技術により誕生、2004年6月30日に発表され、2008年1月31日にカルタヘナ法に基づく一種使用規定承認(流通など「環境中の飛散を防止しないで行う使用」の承認)を得た。2009年11月3日、「アプローズ」のブランドを設け、切花として全国の花屋などで発売を開始した。「APPLAUSE」は拍手喝采を意味することから、サントリーフラワーズではその名の意味を「喝采」とし、新たに「夢 かなう」という花言葉を与えた。
人工的に生み出された物ゆえに、当初花言葉は、「不可能・有り得ない」であったが、開発が進みブルー・ローズの誕生を実現させた事から、開発当初は「奇跡」「神の祝福」という花言葉を新たに充てていた。また、この成功により、同様に不可能とされていた厳密な意味での「黒いバラ」を作ることも可能になったわけだが(減法混色の三原色、つまりシアン・マゼンタ・イエローに相当する青・赤・黄の色素が揃わないと黒色を配合することはできない。現在、「黒バラ」と呼ばれているのは非常に濃い赤色のバラである)、こちらはまだ実現していない。なお、遺伝子操作により花の色を変えるといった試みは、同社の青いカーネーション「ムーンダスト」が世界初である。この遺伝子操作が安全であると確実には立証されるまでの間は、花粉の飛散により一般植物との交雑を回避するため、「ムーンダスト」同様の、専用の隔離された栽培所にて厳密に管理されていた。しかし、2008年1月31日にカルタヘナ法に基づき 一般圃場での栽培も可能になった。

当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注しております。

アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。

アンダーグレース(釉薬の下絵付け)
印判手(転写による染付) 

華やかな欧州の薔薇の花を 独特のぼかし描法で 繊細な落ち着きを持たせた薔薇に変えて 豪華なバロックの器に。

RG ローズブルー クリーマー 3875 (1)
RG ローズブルー クリーマー 3875 (2)
RG ローズブルー クリーマー 3875 (3)

RG ローズブルー クリーマー 3875 (4)

ベッキオシェープ
ベッキオとは 古い伝統の という意味です。今でこそ ベッキオシェイプは ジノリの十八番と なっておりますが 洋食器ファンの ご明察どおり 昔から たくさんの 銘窯で焼かれており マイセン(#02)や ロイヤルコペンハーゲン(カーブ) ヘレンド(ロカイユ)等でも 現在まで 継続 存在しており 慣れ親しまれたシェイプです。


イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでも カオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。


当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年ごろからリモージュのカオリンを 用いることで完璧な白磁を完成させております。
1869年には リチャード社を 合併して 今の リチャードジノリ社になりました。(真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して 新しい 芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。
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