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商品コード:
RGMFOC3350

リチャードジノリ 【ミュージオフィオッコ】 ポット 800cc 10%Off

通常価格(税込):
88,000
販売価格(税込):
79,200
関連カテゴリ:
ジノリ1735/ リチャードジノリ > ミュージオ・パールブルー/ パストラーレ/ フィオッコ
 
フィオッコ(Fiocco)は、イタリア系の姓。       

フィオッコ:プティ・モテ集
フィオッコ:プティ・モテ集
ジョゼフ=エクトル・フィオッコ(1703年 - 1741年)は、ベルギー盛期バロック音楽の作曲家。生前は指揮者やヴァイオリニストとしても活動したが、現在はフランス・クラヴサン楽派に影響された一連のチェンバロ作品によって名を残すにとどまる。
父親はヴェネツィア出身で、1682年よりオーストリア領ネーデルラントの首府ブリュッセルに定住したイタリア人作曲家ピエトロ・アントニオ・フィオッコ。父親と兄から音楽教育を受け、アントウェルペン大聖堂のヴァイオリニストや聖歌隊長を務めた。1737年にブリュッセルに里帰りし、聖ギュデュル教会の聖歌隊長に就任するが、それから4年後に夭逝した。
フィオッコ アダージョ
フィオッコ アダージョ
ジョゼフ・フィオッコは、ベルギー18世紀前半の最も重要な作曲家であり、その楽曲は、イタリア音楽とフランス音楽のそれぞれの様式を結びつけ、早くもギャラント様式の要素を取り込んでいる。いわゆる万能人でもあり、音楽家としての活躍の傍ら、語学教師として古典ギリシア語やラテン語の指導にも携わった。その上さらに、弦楽器製造にも勤しんでいる。
フィオッコの『アレグロ』は 春の訪れを喜んでいるかの 軽やかな調べです。

アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。

(グッチ)ジノリで廃盤になりました。

RG ミュージオフィオッコ ロゴ
由緒正しき 作家ヴァノッツィのサインロゴ

美術を名乗る高品質磁器
ルネサンス芸術の粋 
スクロール文様レリーフの ミュージオシェイプに

RG ミュージオフィオッコ コーヒーPot 3350        

「洋食器ーそれは交響楽(オーケストラ)です。」 詳しくは コチラをクリック してください。

イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。

ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」

当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。
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