有るのが 不思議な手工芸・廃盤品 コストアップから 少シリーズ化 少制作化の波は この銘作中の銘作を 早くに 制作中止に 追い込む。 グッチジノリで復活しましたが アンピールは廃盤のままです。
ピカピカの 新品です。
ブランド箱 330円 ギフト包装用に正規代理店から購入
お熟成価格は 安くて美味しい。お熟成ワインは ボージョレヌーボーより美味しいですが プレミアムが付いた分 高くなる。何故 お熟成アインは 安くなるんですか ? お熟成のプレミアムも お客様に差し上げているからです。
18年前 ヨーロッパ最大のドイツの リチャードジノリ代理店が代理店契約終了に当たり 在庫の処理を巡り リチャードジノリ社とトラブっておりましたので アインが 40フィートコンテナ2本分の在庫を引き受けました。超一流店として アインに足らざるブランド洋食器300年の歴史と伝統を買いました。
以来 グッチジノリになるまで フィレンツェ本店から直接仕入れしておりました。
中間業者のマージンのいらないのもお安く売れる秘密の一つでした。
主だったお店を調べまして ひところはどのお店も必須のシリーズでしたが 廃盤とともに売り切れていき 一軒だけがグッチジノリで復活したのを補充していますが(アンピールは復刻しておりません) グッチジノリ社は 安売りをして倒産するのは嫌だと公言して プライスを大幅に上げておりますので割引は無理しても10%Off が関の山で 旧ジノリ品を持っているお熟成アインが一番安くなっております。
それではお熟成アインは何故 何処にもない廃盤品があって その上 お安いのでしょう ? それは売るのが下手で旧ジノリ社の丁寧品がまだあるからです。大概のお店は この低価格の廃盤品ですら 色々な宣伝広告をしたり ポイントをつけたりしてさばいていかれました。売り下手のアインは ひたすらお熟成 お値打ちのつくのを待ちます。お陰で 今では この美術品は手に入りません。お熟成アインの真骨頂 ! !
当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注しております。
プリンセスは、英語で王族、皇族などの貴人の女性に用いられる称号。フランス語ではプランセス、ドイツ語ではプリンツェッシン、イタリア語ではプリンチペッサプリンセスは、英語で王族、皇族などの貴人の女性に用いられる称号。フランス語ではプランセス、ドイツ語ではプリンツェッシン、イタリア語ではプリンチペッサ、スペイン語ではプリンセサとなる。
大きく分けて2つの意味がある。
男性のプリンスに相当する女性の称号。王女、皇女、公女、女公、内親王、姫などと訳される。また、内親王や公主などの訳語として用いられる。
プリンスの配偶者の称号。妃などと訳される。また、皇太子妃、親王妃、(皇族の)王妃などの訳語として用いられる。
プリンスと同様に比喩的な意味でも用いられる。
9代目 プリンセス・オブ・ウェールズ公妃ダイアナ 他に然したる方もなく
ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
手描き金彩 七宝のような深い青に縁取られた 中世ロマネスク香る佳品
アルミ粉末を 黄色に着色したものと違って 本金は 年を経ると 古色が付きます。
その風格を愛でられる方が多いので このままにしておりますが 磨くと元の金ピカになります。
ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
美術 を名乗る高品質磁器
ルネサンス芸術の粋 ミュージオシェイプに
手描き金彩 七宝のような深い青に縁取られた 中世ロマネスク香る佳品
お店で プリンセスローズを 見たお客さんが 言われます。
美しいですね。
私は お答えします。
二代目 ジノリ侯のお眼にかない 姫妃に愛され 二百数十年行き続ける 美術品です。
コレを 美しいといわれる 貴方のお眼は 時空を超えて 侯や姫妃のお眼眼と 一体です。
雄雄しく 歴史に名を連ねた 覇者達 彼らが 歴史の頂点を 極めた時
王者に相応しい 王者の尊厳に そむかぬものを求めて 白い黄金にたどり着く。
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イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。
次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯から ヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。
当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年ごろからリモージュのカオリンを 用いることで完璧な白磁を完成させております。
1834年には スペイン王カルロ3世の カポデモンテ窯の 閉窯に際し モールド類を引取り以後 ジノリが カポデモンテを引き継いでおります。(カポディモンティ窯とジノリについては ジノリ社の主張に かんぜんにわかに信じ難きことあり もっと検証後に)
1869年には リチャード社を 合併して 今の リチャードジノリ社になりました。特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して 新しい 芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。