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商品コード:
RGPRR4254

リチャードジノリ 【プリンセスローズ】 シュガー(270cc) 

販売価格(税込):
40,700
関連カテゴリ:
ジノリ1735/ リチャードジノリ > プリンセスローズ/ ベネチアンローズ

ブランド箱 330円  ギフト包装用に正規代理店から購入

お熟成価格は 安くて美味しい。お熟成ワインは ボージョレヌーボーより美味しいですが プレミアムが付いた分 高くなる。何故 お熟成アインは 安くなるんですか ? お熟成のプレミアムも お客様に差し上げているからです。 

20年前 ヨーロッパ最大のドイツの リチャードジノリ代理店が代理店契約終了に当たり 在庫の処理を巡り リチャードジノリ社とトラブっておりましたので アインが 40フィートコンテナ2本分の在庫を引き受けました。超一流店として アインに足らざるブランド洋食器300年の歴史と伝統を買いました。
以来 グッチジノリになるまで フィレンツェ本店から直接仕入れしておりました。

主だったお店を調べまして ひところはどのお店も必須のシリーズでしたが 廃盤とともに売り切れていき 一軒だけがグッチジノリで復活したのを補充していますが 立ちものまでは 入れておらず 従って旧ジノリ品を持っているお熟成アインが一番安くなっております。
グッチジノリ社は 安売りをして倒産するのは嫌だと公言して プライスを大幅に上げております。それではお熟成アインは何故 何処にもない旧ジノリ品があって その上 お安いのでしょう ? それは売るのが下手で旧ジノリ社の丁寧品がまだあるからです。大概のお店は 色々な宣伝広告をしたり ポイントをつけたりしてさばいていかれました。売り下手のアインは ひたすらお熟成 お値打ちのつくのを待ちます。お陰で 今では この美術品は手に入りません。お熟成アインの真骨頂 ! !

ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
ジノリの4つの古いバラの中で一番人気
手描き金彩 七宝のような深い青に縁取られた 中世ロマネスク香る佳品 

アンティコシェープ
ルネッサンス期の 銀器のシェープから ロココ調に生まれました
手描き・ハンドトランスファー 併用

アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが 
お熟成アインのは ピカピカの 新品です。

本金は 年を経ると 古色が付きます。 その風格を愛でられる方が多いので このままにしておりますが 磨くと 元の金ピカになります。 

お店で プリンセスローズを 見たお客さんが 言われます。
美しいですね。

私は お答えします。
コレは 創窯者 ジノリ侯のお眼にかない 姫妃たちに 愛用され 約3世紀生き続けた 美術品です。コレを 美しいといわれる 貴方のお眼は 時空を超えて 侯や 姫妃のお眼眼と 一体です。

イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。

当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。
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