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商品コード:
RGIPB0145

リチャードジノリ・インペロブラック 21cmスーププレート 

販売価格(税込):
16,500
関連カテゴリ:
ジノリ1735/ リチャードジノリ > インペロブラック/ ゴールド

グッチ・ジノリで コンテッサ オニスとして復活?
先日 東京のお客様から 電話がありました。
某百貨店で インペロブラックを見たのですが アインさんで買った自分の持ってるものとは全然違うのでびっくりしました。

お答え
和名 コンテッサ・オニキスのことですね。それは スプレイであっさり仕上げられた 美しい現代作です。重厚な 手塗りのインペロブラックとは 似て非なるものです。美しさの好みは 色々ですね。只 今作と違って 手間は10倍も違うのは確かです。 

お客さん 
アインさんの貫禄のインペロが 無くならないうちに追加注文します。

違いを分かってくださる方に 幸多かれ。 目出度し芽出度し!

ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ

有るのが不思議なエナメル手工芸・廃盤品
中央に描かれる 古代ローマ ポンペイ遺跡出土の壷は 4年前まで残った グリーンでは 割愛され 塗りも 吹き付けと 簡略化されておりました

手塗りのエナメルは 深い漆の質感を 呈します。
本金は 古色が付いています。
風格ある古色は捨てがたいのですが 軽く磨くとすぐ元の金ピカになります。

この重厚感 あふれ ジノリを代表するシリーズは 18年前ヨーロッパ最大の ジノリ代理店の 依頼を受けて マルクで仕込みました。欧州一番店に比べ アインに足らざる歴史と伝統を買いました。現在ではコスト面から制作困難な手工芸品を 創業25周年謝恩価格でご提供

インペロシェープ
ジノリを 代表する アンピール様式の花
(ネオクラシック後期 ナポレオン好みの 端正・簡潔な この様式が派生)

*アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが 
お熟成アインのは ピカピカの 新品です。

イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでも カオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。
当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年ごろからリモージュのカオリンを 用いることで 完璧な白磁を完成させております。
1834年には スペイン王カルロ3世の カポデモンテ窯の 閉窯に際し モールド類を引き取り 以後 ジノリが カポデモンテを引き継いでおります。
1869年には リチャード社を 合併して 今の リチャードジノリ社になりました。
特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して 新しい 芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。
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