アウガルテン・ウィーンが 世界中でどこより安い秘密は 2000年以来 お熟成アインにあります。
ピカピカの新品です。 現品 即納
今を去る 二昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産にいただいた マリアテレジアの スクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。
ちなみに オイゲン公とは オスマントルコに 包囲された 神聖ローマ帝国オーストリアの危機を ドイツ諸侯を募り 救った大将軍であり その英雄に捧げられたのが このサービスです。
近代では 紀子様お輿入れ道具になった事でも 有名です。
マリアテレジアのウィーン窯も フランスロココの模倣から 独自のウィーン様式を確立し 18世紀中葉には マイセンを凌駕し 時代を リードするほどになりました。
(よくお客様に このプリンスオイゲンが 紀子様お輿入れ道具になった事を お話しますと お客様は マイセンでもないのに 1客10万もするの? と 聞かれます。ウィーン御留学の経験ある 紀子さまは さすが ヨーロッパにおける この窯の名声と 磁器として 食器としても 最高のお品であると ご存じだったのですね。)
マリアテレジアのウィーン窯も フランスロココの模倣から 独自のウィーン様式を確立し 18世紀中葉には マイセンに代わり セーヴルと並んで 時代をリードするほどになりました。1761年 ハンガリーのシュメルニッツで 良質のカオリンが 発掘され 白磁に磨きがかかり 窯印も 粗野な刻印から 高貴な染付となり 美術的名声(第1黄金期)を博していきました。しかし どの窯もそうであったように 飽くなき名声の追求は 莫大な資金を飲み込み 窯の存亡の危機を招きます。1784年 マリアテレジアの息子 フランツ・ヨーゼフ二世皇帝は 帝国の陰りの前に 体面をかなぐり捨て 遂に ウィーン窯を 競売にかけました。しかし 応札は誰も無く やむなく ゾルゲンタール男爵を 経営改革の任に 付けました。彼は ロココから ネオクラシックの流れに 強いウィーンスタイルを主張した 他の追随を 許さぬ美術磁器を 生み出していきました。絶頂の ウィーン窯・第2黄金期は1804年 フランス皇帝に即位した ナポレオンにより 貶められていきました。神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオンに フランツ・ヨーゼフ二世は 神聖ローマ帝国皇帝を廃嫡し オーストリア世襲皇帝となり オーストリアを守ることに手一杯になりました。最後の光芒を放ったビーダーマイヤー(市民革命)様式に見せた ウィーン窯の威厳も 所詮は 徒花となり 1864年 120年の栄光の末 廃窯することになりました。モールドは1部がヘレンドや ウィーンノイシュタット窯や やがて ワーリスなどに流れて行くのですが ハブスブルグ家ほどの資金も情熱もなく 栄光は引き継がれず 贋作のみ 盛んになりました。