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※赤字は休業日です

商品コード:
RGIPT0105

リチャードジノリ 【インペロロッソ】  25cmプレート10%Off 

通常価格(税込):
17,600
販売価格(税込):
15,840
関連カテゴリ:
ジノリ1735/ リチャードジノリ > インペロロッソ/ パープル
   
お熟成価格は 安くて美味しい。お熟成ワインは ボージョレヌーボーより美味しいですが プレミアムが付いた分 高くなる。何故 お熟成アインは 安くなるんですか ? お熟成のプレミアムも お客様に差し上げているからです。 

新品はお熟成アインでしか買えません。
18年前 ヨーロッパ最大のドイツの リチャードジノリ代理店が代理店契約終了に当たり 在庫の処理を巡り リチャードジノリ社とトラブっておりましたので アインが 40フィートコンテナ2本分の在庫を引き受けました。超一流店として アインに足らざるブランド洋食器300年の歴史と伝統を買いました。
以来 グッチジノリになるまで フィレンツェ本店から 直接仕入れておりました..。

主だったお店を調べましたが 新旧作ともに割引のある一般店で 取り扱いのあるお店はございません。お熟成アインがお安い部類です。
クッチシノリ社は 安売りをして倒産するのは嫌だと公言して プライスを大幅に上げております。苦労していれても 割引ができません。損を覚悟で10%ffがせいぜいです。
それではお熟成アインは何故 重厚な旧作をお安すくできるのでしょう ? それは売るのが下手だからです。大概のお店は 色々な宣伝広告をしたり ポイントをつけたりしてお高くさばいていかれます。売り下手のアインは ひたすらお熟成 お値打ちのつくのを待ちます。お陰で 今では これだけの美品は手に入りません。お熟成アインの真骨頂 ! !  

旧リチャードジノリで廃盤になりました。
新品は お熟成アインでしか買えません。

18年前 ヨーロッパ最大のドイツの リチャードジノリ代理店が代理店契約終了に当たり 在庫の処理を巡り リチャードジノリ社とトラブっておりましたので アインが 40フィートコンテナ2本分の在庫を引き受けました。超一流店として アインに足らざるブランド洋食器300年の歴史と伝統を買いました。          

伊名 コンテッサロッサ(赤)
日本俗名 インペロタン(舌の色)

コンテッサとは伯爵夫人 伯爵の妻か 女性の伯爵を言う

インペロシェープ
ジノリを 代表する アンピール様式の花
(ネオクラシック後期 ナポレオン好みの 端正・簡潔な この様式が派生)

「コンテッサ」(伯爵夫人)は、色彩の美しさを 最大限表現したシリーズです。緻密に計算されたデザインは、卓越したクラフトマンシップの手工芸から生まれます。

ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
有るのが不思議なエナメル手工芸・廃盤品
今や ドッチアミュージアムでしか 出会えません。
手塗りのエナメルは 深い漆の質感を 呈します。
ソーサー中央に描かれるは 古代ローマ ヴェスピオス火山噴火により 埋もれた ポンペイ遺跡より 出土の壷

本金は 古色が付いています。
風格ある古色は捨てがたいのですが 軽く磨くと すぐ元の金ピカになります。

RG インペロタン 25cp 0105RG インペロタン ティー 2980 (5)

RG Gold Logo どの小さい写真もクリックで拡大
ポンペイ遺跡出土の壷   ドッチア窯 金ロゴ   

雄雄しく 歴史に名を連ねた 覇者達 彼らが 歴史の頂点を 極めた時 王者に相応しい 王者の尊厳に そむかぬものを求めて 白い黄金にたどり着く。

イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。

当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。
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