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商品コード:
RGIPT5458

リチャードジノリ 【インペロロッソ】  ポンペイトロフィー(ベース) H21cm 10%Off 

通常価格(税込):
286,000
販売価格(税込):
257,400
関連カテゴリ:
ジノリ1735/ リチャードジノリ > インペロロッソ/ パープル

伊名 コンテッサロッサ(赤)
日本俗名 インペロタン(舌の色)

ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
有るのが不思議なエナメル手工芸・廃盤品
手塗りのエナメルは 深い漆の質感を 呈します。
本金は 古色が付いています。
風格ある古色は捨てがたいのですが 軽く磨くとすぐ元の金ピカになります。

インペロシェープ
ジノリを 代表する アンピール様式の花
(ネオクラシック後期 ナポレオン好みの 端正・簡潔な この様式が派生)

この重厚感あふれ ジノリを代表するシリーズは 18年前 当時ヨーロッパ最大の ジノリ 代理店の 依頼を受けて マルクで仕込みました。欧州一番店に比べ アインに足らざる  歴史と伝統を買いました。現在では コスト面から 制作困難な手工芸品を 創業26周年 謝恩特価でご提供

お熟成価格は 安くて美味しい。お熟成ワインは ボージョレヌーボーより美味しいですが プレミアムが付いた分 高くなる。何故 お熟成アインは 安くなるんですか ? お熟成のプレミアムも お客様に差し上げているからです。 

インペロロッソの新品は お熟成アインにしかありません。
クッチシノリ社は 安売りをして倒産するのは嫌だと公言して プライスを大幅に上げております。それではお熟成アインは何故 重厚な旧作廃盤品をお安すくできるのでしょう ? それは売るのが下手だからです。(と言っても在庫は薄くなってますのでそろそろ割引率は減らそうかな ? )大概のお店は 色々な宣伝広告に金をかけたり ポイントで釣ったりして上手にお高くさばいていかれます。売り下手のアインは ひたすらお熟成 お値打ちのつくのを待ちます。お陰で 今では これだけの美品は手に入りません。お熟成アインの真骨頂 ! !

旧・ジノリで 廃盤に

優勝記念に
トロフィー(英: Trophy)は、主にスポーツの試合や競技会において優勝者に授与される優勝カップ・優勝楯・像などの総称である。元々は戦利品を意味し、勝利の女神(ニーケー ギリシア神話に登場する勝利の女神。ローマ神話ではヴィクトーリア (Victōria) と呼ばれる。一般には有翼の女性の姿で表される。アテーナーの随神だが、アテーナーの化身とする場合もある。サモトラケ島で発掘された彫像 ルーヴル美術館所蔵「サモトラケのニケ」が有名。英語ではナイキ)に祝福された勝者を称える儀式的な意味合いがある。狩猟で仕留めた鹿などの首から上の部分を剥製にするなどして、壁に飾ったりするものをハンティング・トロフィーという。狩猟戦利戦争で敵から奪い取った鎧・兜・盾などを戦利品として飾る慣習からといわれる。紀元前の硬貨・テトラドラクマ銀貨の裏面には、柱に飾られた戦利品の甲冑に勝利の女神・ニケが銘文を刻もうとしている様子が描かれており 古くからの慣習であったと言える。

79年のヴェスヴィオ火山噴火
79年8月24日の午後1時頃にヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続けた。翌25日の噴火末期に火砕流が発生し、ポンペイ市は一瞬にして完全に地中に埋まった。降下火山灰はその後も続いた。海の水がみるみる引いていった後に「津波」がおきた。噴火直後に当時のローマ皇帝ティトゥスはポンペイに使者を出すが、市は壊滅したあとだった。

イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。

当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。
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