• ブランド洋食器専門店のアイン/商品詳細ページ
  • ブランド洋食器専門店のアイン/商品詳細ページ|ホームへ
  • ブランド洋食器専門店のアイン/商品詳細ページ|アインの思いへ
  • ブランド洋食器専門店のアイン/商品詳細ページ|店舗紹介へ
  • ブランド洋食器専門店のアイン/商品詳細ページ|お問い合せ
  • ブランド洋食器専門店のアイン/商品詳細ページ
ブランド洋食器専門店のアイン/カートを見るブランド洋食器専門店のアイン/ログインブランド洋食器専門店のアイン/ご利用ガイドブランド洋食器専門店のアイン/よくある質問

現在のカゴの中

合計数量:0

商品金額:0円

カゴの中を見る

商品カテゴリー

CALENDAR

2024年4月の定休日
123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930
2024年5月の定休日
1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031

※赤字は休業日です

  • 残りわずか
商品コード:
RGIPG5458

リチャードジノリ 【インペログリーン】 ポンペイトロフィー H21cm 10%Off

通常価格(税込):
286,000
販売価格(税込):
257,400
関連カテゴリ:
ジノリ1735/ リチャードジノリ > インペログリーン

グッチ・ジノリで コンテッサ スメラルドとして復活?

先日 東京のお客様から 電話がありました。
某百貨店で インペログリーンを見たのですが アインさんで買った自分の持ってるものとは全然違うのでびっくりしました。

お答え
和名 コンテッサ・エメラルドのことですね。それは スプレイであっさり仕上げられた 美しい現代作です。重厚な 手塗りのインペログリーンとは 似て非なるものです。美しさの好みは 色々ですね。只 今作と違って 手間は10倍も違うのは確かです。 

お客さん 
アインさんの貫禄のインペロが 無くならないうちに追加注文します。

違いを分かってくださる方に 幸あ多かれ。 目出度し芽出度し!

19世紀に発掘されるポンペイ
発掘された肖像画、フレスコ、国立ナポリ考古学博物館
散発的に古代の品が発見されたので、下に都市が埋まっていることは知られていた。1599年 フォンターナという建築家がサルノ川沿いを掘っていて遺跡を見つけた。1748年にポンペイが再発見され、建造物の完全な形や当時の壁画を明らかにするために断続的に発掘が行われた。ポンペイとその周辺の別荘からは多数の壁画が発掘され、古代ローマの絵画を知る上で重要な作品群となっている。ポンペイの壁画の様式には年代により変遷が見られ、主題も静物、風景、風俗、神話と多岐にわたっている。男女の交わりを描いた絵も有名で、これらは娼婦の館やフォルム(市民広場)や浴場や多くの家や別荘で、よい状態で保存され続けていた。1000平方メートルの広さをもつ、「グランドホテル 」は、町のそばで見つかった。

ポンペイの悲劇が皮肉にも古代ローマ帝国の栄華を今に伝えることになった。ポンペイは 建造物や街区が古代ローマのままの唯一の町として知られている。ポンペイこそが最も純粋に古代ローマの伝統を守り、ほぼ直角に交差する直線の大通りが規則的に区切られ、計画的に設計された町であった。通りの両側には家と店がある。建造物は石でできていた。

イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。

当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。
数量:

この商品に対するお客様の声

この商品に対するご感想をぜひお寄せください。