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商品コード:
WWPRSC

ウェッジウッド 英国製 ペルシア キャン コーヒーC/S 壺ロゴ

販売価格(税込):
14,300
関連カテゴリ:
ウェッジウッド > ペルシア

キャンC/Sの出自は セーブルにあります。
中世 お姫様たちの間で ホットチョコを飲むのが 流行ました。まるで ホットチョコを飲まないと お姫様で無いかのように。そのホットチョコ用に セーブルで作られたのが キャンC/S です。

ルイ15世の王太子妃マリア・テレサ(スペイン王室の姫。2番目の王太子妃が かのアウグスト強襲王の 孫娘マリアヨゼファ磁器王女。ルイ16世の生母として 大いに権勢を振るったそうです。)をして「王とチョコレートは わらわの ただ二つの情熱」と言わしめたように 中世ヨーロッパにおいて ホットチョコは 上流階級用の 高級飲料とされておりました。片やオスマントルコ伝来のコーヒーは オーストリアのウィンナーコーヒーとして 花開くのですが 巷間 カフェが 繁盛しましたように どちらかというと 一般大衆用のものとされておりました。

ウェッジウッドは ヨーロッパ中を捲き込んだ 
7年戦争真っ只中の 1759年 バースレムの地にジョサイアによって 生み出されました。
ジョサイアは 製陶を生業とする ウェッジウッド家の第13子として 1730年に誕生しましたが 
11歳の少年の頃 天然痘にかかり 右足が不自由になり1768年には 悪化した右足膝下を 切断しております。
しかし 強い意志の彼は このハンディをものともせず 
倦まず弛まず 天分に磨きをかけ 後に「英国陶工の父」と尊称される程の人物になりました。

英国ボーンチャイナ
英国では 磁土(カオリン)の産出がなくて 硬質磁器を作るのに 大陸から輸入して いくつかの窯で 細々と試みられていました。
一方で カオリンに代わるものを求めて 試行錯誤の後 1749年 トーマス・フレイが 牛骨を焼いた骨灰にたどり着きました。
1795年頃 この軟質磁器の 工業製品化に成功した1人が ジョサイア・スポード二世でした。
さらに1819年  現ザロップで フェルスパー(長石)が発見され 多くの窯で 
フェルスパー・ポースレーンの開発競争の中 この時代を リードしたのが 又逸早く工業製品化に成功した ジョサイア・スポード二世でした。
英国ボーンチャイナ確立

一方 ウェッジウッドでは クィーンズウェアに続く ジャスパーウェアの 大ブレークが 先見の明あるはずの ジョサイアの目を曇らしたのか 後に隆盛を見る ボーンチャイナの開発に 余り関心なく(1780年 ブリストル硬質磁器窯の買収提案を拒絶)結局ジョサイア二世による 1812年にと 大幅に遅れることになりました。
しかしこれとても 先発するスポード社などに 及ばず 1828年には 取りやめました。
今 ウェッジウッドの 中核をなすボーンチャイナへの 再チャレンジは 1878年の遅きになりました。
やがて 研究熱心なウェッジウッドでは ワイルドストロベリーを はじめ多くのヒット作の 中核的素材となる 美しいファインボーンチャイナを完成させました。
余談になりますが ウェッジウッド家の 科学研究的優秀さは 中世最高の科学者 ダーウィンを 血脈としたこと(ジョサイアの娘スザンナの子が 
チャールズ・ダーウィン すなわちジョサイアの孫になります)でも有名で 世に喧伝されました。
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