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商品コード:
WWPCL

ウェッジウッド 【プシュケ英国製】 兼用(リー)C/S 5%Off

通常価格(税込):
13,200
販売価格(税込):
12,540
関連カテゴリ:
ウェッジウッド > プシュケ,プラトンゴールド
 
ブランド箱 330円  ギフト包装用に正規代理店から購入

お熟成価格は 安くて美味しい。お熟成ワインは ボージョレヌーボーより美味しいですが プレミアムが付いた分 高くなる。何故 お熟成アインは 安くなるんですか ? お熟成のプレミアムも お客様に差し上げているからです。

この最近作は 一軒廃盤にしておりますが 大概のお店にありますのでやせ我慢価格でお安くしました。ただ写真の優劣かもしれませんが何処とも呆け気味で 比べれば 一番お安くしております。何故でしょうか ? それは売るのが下手だからです。大概のお店は 色々な宣伝広告をしたり ポイントをつけたりしてお高くさばいていかれます。売り下手のアインは ひたすらお熟成 お値打ちのつくのを待ちます。お陰で この美品は手に入らなくなりました。お熟成アインの真骨頂 ! !

当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注しております。

プシューケーとは、ギリシア神話に登場する人間の娘の名で、この言葉は古代ギリシア語で心・魂・蝶を意味する。 日本語では、長母音を省略してプシュケと言う。 アプレイウスのラテン小説「黄金のろば」の中の挿話として登場する。ラテン文学であるため、ウェヌス、クピードーといったローマ神話の神名が用いられているが、ギリシア神話の一編として紹介しますので、アプロディーテー、エロース(キューピッド)など 総て ギリシア神話の神名に直しております。
ギリシャ神話「キューピッドとプシュケの結婚」
ある国の3人の王女はいずれも美しく、中でも末のプシューケの美しさは美の女神、アプロディーテへ捧げられるべき人々の敬意をも集めてしまうほどであった。人間の女に負けることなど思いもよらなかったアプロディーテは、息子キューピッドにその愛の弓矢を使ってプシューケに卑しい男と恋をさせるよう命じる。悪戯好きのこの愛の神は喜んで母の命令に従うが、誤って自分をも傷つけプシューケへの愛の虜となってしまう。 プシューケーに求婚者が現れないことを憂いた父母はアポロの神託を受けるが、その神託とは、「山の頂上に娘を置き、『全世界を飛び回り神々や冥府でさえも恐れる蝮のような悪人』(恋の寓喩)と結婚させよ」という恐ろしいものであった。悲しむ人々の中プシューケは一人神託に従うことを決意し、山に運ばれる。
ゼピュロスがこの世のものとは思えない素晴らしい宮殿にプシューケを運び、宮殿の中では見えない声が、この中のものはすべてプシューケのものだといい、食事も音楽も何もかもが心地よく用意されていた。夫は夜になると寝所に現れるのみで姿を見ることはできなかった。

フランソワ・ジェラール〈キューピッドとプシュケ〉ルーヴル美術館
フランソワ・ジェラール 1770-1837  18世紀フランス新古典主義を代表する画家のひとり。

宮殿での生活を楽しんでいたプシューケだが、やがて家族が恋しくなり、渋る夫を泣き落として二人の姉を宮殿に招く。プシューケの豪華な暮らしに嫉妬した姉達は、姿を見せない夫は実は大蛇でありプシューケを太らせてから食うつもりであると説き、夫が寝ている隙に剃刀で殺すべきであるとけしかけた。この言葉を信じたプシューケが、寝ている夫を殺すべく蝋燭を持って近づくと、そこには凛々しい神の姿が照らし出された。驚いたプシューケは蝋燭の蝋を落としてキューピッドに火傷を負わせてしまう。妻の背信に怒ったキューピッドはその場を飛び去る。

キューピッドとプシュケー ジャン=バティスト・オーガスティン
ジャン=バティスト・オーガスティン、男爵ルニョー、 フランスの細密画家(1759 -1832)
姉達の姦計にようやく気づいたプシューケは姉達の元へ行くと、今度はキューピッドは姉達と結婚するつもりだと嘘を教えた。喜んだ姉達はゼピュロスが宮殿へ運んでくれると思い、断崖から身を躍らせたが、風は運ばず、姉達は墜落してばらばらに砕けた。
アプロディーテの試練
一方アプロディーテは息子の醜聞に激怒し、アプロディーテ自らの接吻を与えるという懸賞までかけてプシューケを捕らえようとした。恐れたプシューケはデーメーテールに庇護を求めるが、デーメーテールは「アプロディーテとのつきあいがある」との理由で拒否した。そこで今度はヘーラーに庇護を求めるが、ヘーラーは「逃亡した奴婢をかくまってはならないことになっている」と法律を理由に拒否した。
かくて、愛を追いながらも世間のしがらみに行き場所をなくした魂は、観念してアプロディーテのもとに出頭した。アプロディーテはプシューケを捕らえて折檻し、次々と無理難題を押し付けた。しかし、大量の穀物の選別を命じられた際はどこからともなく蟻がやってきて手助けしてくれたり、凶暴な金の羊の毛を取ってくるよう命じられた際には河辺の葦が羊毛の取り方を助言してくれて、竜の棲む泉から水を汲むよう命じられた際はキューピッドに可愛がられていたゼウスの大鷲が水を汲んで来てくれるなど、不思議な助けを受けてアプロディーテの難題を乗り越える。
業を煮やしたアプロディーテは息子キューピッドの火傷の介抱で衰えた美貌を補うために冥府の女王ペルセポネーに美をわけてもらってくるよう命ずる。首尾よく美をわけてもらったプシューケだが、自分の容色も衰えキューピッドの愛も失うのではと不安になり、箱を開けないよう警告されていたにもかかわらず開けてしまう。しかし、中には冥府の眠りが入っていた。
傷の癒えたキューピッドは昏睡している妻から冥府の眠りを取り去って箱に集め、ゼウスにとりなしを頼む。ゼウスはキューピッドが良い女を見つけたら紹介することを条件にとりなしを了承する。ゼウスはプシューケに神の酒ネクタールを飲ませ神々の仲間入りをさせた。プシューケはもう人間でないのだから身分違いの結婚ではないと説明され、アプロディーテもやっと納得した。かくて魂は愛を手に入れ、二人の間にはウォルプタース(「喜び」、「悦楽」の意)という名の子が生まれた。女神となったプシューケが絵画に描かれるときには、蝶の翅を背中に生やした姿をとる例が多々見られる。

英国製 ENGLAND 1759 ロゴ

愛の神 キューピッドの妻になった 美しい人間の娘 プシュケ
ギリシャ神話「キューピッドとプシュケの結婚」から
描かれた愛の絆 ラブノット(解けない永遠の 結び切り リボン)

原点 回帰作
自信作のヒットを 狙って 上代は 低く抑えられており お買い得な シリーズです。

1756年 ドイツ・プロイセンのフリードリヒ大王は イギリスと軍事同盟(ウェストミンスター条約)を結び ザクセン(マイセン)・ロシア・フランス・オーストリアを敵に回し 7年戦争の火蓋を切りました。鎧袖一触 又も マイセンを狙って ドレスデンを占領しました。この時 大王は マイセン窯から 職人を引き抜き 挙句は 戦費調達に 瀕死のマイセンを 売り飛ばすのです。

ウェッジウッドは ヨーロッパ中を捲き込んだ 7年戦争真っ只中の1759年 バースレムの地に ジョサイアによって 生み出されました。ジョサイアは 製陶を生業とする ウェッジウッド家の 第13子として 1730年に誕生しましたが 11歳の少年の頃 天然痘にかかり 右足が不自由になり 1768年には 悪化した右足膝下を 切断しております。しかし 強い意志の彼は このハンディをものともせず 倦まず弛まず 天分に磨きをかけ 後に「英国陶工の父」と尊称される程の人物になりました。

1769年 古典芸術に造詣の深い パートナー・ベントリーと スタッフォードの地に エトルリア(古代美術の栄えた イタリアの都市名)工場開設。ジョサイアの 古典芸術に対する憧憬と その復刻に燃える情熱から 命名された。この年 この地で行われていた 無釉黒色炻器を改良して ブラックバサルト(玄武岩)を完成(1707年 ベトガー完成の朱泥炻器に同じ)。ジャスパーウェアの魁です。リバプール港への 運河を開鑿したことも有名です。彼の進取の気性は 女王御用達陶工でありながら 反するアメリカ独立戦争・奴隷解放運動への大口基金寄贈者であった事からも 見て取れます。1795年 王立協会員・初代ジョサイアは 栄光と賞賛の中 惜しまれながら この世を去りました。彼の天分は 息子ジョサイアⅡ世に受け継がれ 脈々と生き続けました。エトルリア工場は 1950年 現在のバーラストン工場(ストーク・オン・トレント)に 180年の長き 伝統を引き継ぐまで 繁栄を続けました。

ボーンチャイナ
英国では 磁土(カオリン)の産出がなく 硬質磁器を作るのに 大陸から輸入して いくつかの窯で 細々と試みられていました。一方で カオリンに代わるものを求めて 試行錯誤の末 1749年 トーマス・フレイが 牛骨を焼いた骨灰にたどり着きました。1795年頃 この軟質磁器の 工業製品化に成功した1人が ジョサイア・スポード二世でした。さらに1819年  現ザロップで フェルスパー(長石)が発見され 多くの窯で フェルスパー・ポースレーンの開発競争の中 この時代を リードしたのが 又 逸早く工業製品化に成功した ジョサイア・スポード二世でした。英国ボーンチャイナ確立

クィーンズウェアに続く このジャスパーウェアの 大ブレークが 先見の明あるはずの ジョサイアの目を曇らしたのか 後に隆盛を見る ボーンチャイナの開発に 余り関心なく(1780年 ブリストル硬質磁器窯の 買収提案を拒絶)結局ジョサイア二世による 1812年にと 大幅に遅れることに なりました。しかしこれとても 先発するスポード社などに 及ばず 1828年には 取りやめました。今 ウェッジウッドの 中核をなすボーンチャイナへの 再チャレンジは 1878年の遅きになりました。やがて 研究熱心なウェッジウッドでは ワイルドストロベリー(初代 ジョサイア・ウェッジウッドが残した 8冊 約10000点の パターンブック 初版1769年頃 再版1810年 から 1806年に発表された ワイルドストロベリー。現在のパターンは 1965年発売)を 始 多くのヒット作の 中核的素材となる 美しいファインボーンチャイナを 完成させました。余談になりますが ウェッジウッド家の 科学研究的優秀さは 中世最高の科学者「進化論」のダーウィンを 血脈としたこと(ジョサイアの娘スザンナの子が チャールズ・ダーウィン すなわちジョサイアの孫になります)でも有名で 世に喧伝されました。
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