- 商品コード:
-
WWHMBP
ウェッジウッド 英国製 ハミングバード ピオニー ティーC/S 壷ロゴ 5%Off
- 通常価格(税込):
-
22,000
円
- 販売価格(税込):
-
20,900
円
- 関連カテゴリ:
-
ウェッジウッド
> ハミングバード
ハミングバード(はちどり)は、空中に羽ばたきながら止まって、花の蜜を主食として吸う、世界一小さな、美しい鳥です。カリブ諸島を含むアメリカ大陸のみに生息している渡り鳥で、そしてジャマイカの国鳥です。 ネイティブ・アメリカンの間では、ハミングバードは愛と美と幸せのシンボルであると信じられています。
当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を
避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注して 制作してもらったものです。
ちなみにお熟成アインは もうどこにもない新品に 次のウェッジウッド・ロゴを使い分け表示しております。
1.完全英国製 MADE IN ENGLAND 壺ロゴ
2.完全英国製 MADE IN ENGLAND ロゴ
3.完全英国製 MADE IN ENGLAND 記念ロゴ(1995年 初代ジョサイア・
ウェッジウッド没後200周年記念発表作)
4.完全英国製 MADE IN ENGLAND 花Wロゴ(2000年 ウェッジウッド 誕
生240年オーバー 記念限定作)
5完全英国製 MADE IN ENGLAND 新金ロゴ .
6.英国製 ENGLAND 1759 ロゴ(英国製 Made in UNITED KINGDOM)
7.ENGLAND 1759 ロゴ
さてみなさん ウェッジウッド には 制作年代と 仕事内容で 大まかにこれぐらいのロゴがあるのですよ。
同じシリーズでも ロゴの違うものがありますが 総て意味があります。
ロゴを見ないでロゴの当てられる人は すごいウェッジ通です。
壷ロゴ ウェッジウッド社が 一番いい仕事をしていた時代に 初代ジョサイアの誇り 英国国宝ポートランドの壷をロゴに!!!
完全英国製 MADE IN ENGLAND 壺ロゴ
いい仕事してますね。 ポートランドの壺が 盛り上がっています。
アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが
お熟成アインのは ピカピカの 新品です。
ハンドトランスファー 取っ手の中にも絵付け
手の込んだ良いものを 少し。手工芸品
原点から生まれ 大理石模様をあしらった格調高き秀作
完全英国製 壺ロゴの ハミングバードって ヴィンテージもよいとこですよね。
こんなヴィンテージの いいものがなぜ安いかって?
安物 安いのは当たり前
良いもの安いのが アインさん
1756年 ドイツ・プロイセンのフリードリヒ大王は イギリスと軍事同盟(ウェストミンスター条約)を結び ザクセン(マイセン)・ロシア・フランス・オーストリアを敵に回し 7年戦争の火蓋を切りました。鎧袖一触 又も マイセンを狙って ドレスデンを占領しました。この時 大王は マイセン窯から 職人を引き抜き 挙句は 戦費調達に 瀕死のマイセンを 売り飛ばすのです。
ウェッジウッドは ヨーロッパ中を捲き込んだ 7年戦争真っ只中の1759年 バースレムの地に ジョサイアによって 生み出されました。ジョサイアは 製陶を生業とする ウェッジウッド家の 第13子として 1730年に誕生しましたが 11歳の少年の頃 天然痘にかかり 右足が不自由になり 1768年には 悪化した右足膝下を 切断しております。しかし 強い意志の彼は このハンディをものともせず 倦まず弛まず 天分に磨きをかけ 後に「英国陶工の父」と尊称される程の人物になりました。
1769年 古典芸術に造詣の深い パートナー・ベントリーと スタッフォードの地に エトルリア(古代美術の栄えた イタリアの都市名)工場開設。ジョサイアの 古典芸術に対する憧憬と その復刻に燃える情熱から 命名された。この年 この地で行われていた 無釉黒色炻器を改良して ブラックバサルト(玄武岩)を完成(1707年 ベトガー完成の朱泥炻器に同じ)。ジャスパーウェアの魁です。リバプール港への 運河を開鑿したことも有名です。彼の進取の気性は 女王御用達陶工でありながら 反するアメリカ独立戦争・奴隷解放運動への大口基金寄贈者であった事からも 見て取れます。1795年 王立協会員・初代ジョサイアは 栄光と賞賛の中 惜しまれながら この世を去りました。彼の天分は 息子ジョサイアⅡ世に受け継がれ 脈々と生き続けました。エトルリア工場は 1950年 現在のバーラストン工場(ストーク・オン・トレント)に 180年の長き 伝統を引き継ぐまで 繁栄を続けました。
ボーンチャイナ
英国では 磁土(カオリン)の産出がなく 硬質磁器を作るのに 大陸から輸入して いくつかの窯で 細々と試みられていました。一方で カオリンに代わるものを求めて 試行錯誤の末 1749年 トーマス・フレイが 牛骨を焼いた骨灰にたどり着きました。1795年頃 この軟質磁器の 工業製品化に成功した1人が ジョサイア・スポード二世でした。さらに1819年 現ザロップで フェルスパー(長石)が発見され 多くの窯で フェルスパー・ポースレーンの開発競争の中 この時代を リードしたのが 又 逸早く工業製品化に成功した ジョサイア・スポード二世でした。英国ボーンチャイナ確立
クィーンズウェアに続く このジャスパーウェアの 大ブレークが 先見の明あるはずの ジョサイアの目を曇らしたのか 後に隆盛を見る ボーンチャイナの開発に 余り関心なく(1780年 ブリストル硬質磁器窯の 買収提案を拒絶)結局ジョサイア二世による 1812年にと 大幅に遅れることに なりました。しかしこれとても 先発するスポード社などに 及ばず 1828年には 取りやめました。今 ウェッジウッドの 中核をなすボーンチャイナへの 再チャレンジは 1878年の遅きになりました。やがて 研究熱心なウェッジウッドでは ワイルドストロベリー(初代 ジョサイア・ウェッジウッドが残した 8冊 約10000点の パターンブック 初版1769年頃 再版1810年 から 1806年に発表された ワイルドストロベリー。現在のパターンは 1965年発売)を 始 多くのヒット作の 中核的素材となる 美しいファインボーンチャイナを 完成させました。余談になりますが ウェッジウッド家の 科学研究的優秀さは 中世最高の科学者「進化論」のダーウィンを 血脈としたこと(ジョサイアの娘スザンナの子が チャールズ・ダーウィン すなわちジョサイアの孫になります)でも有名で 世に喧伝されました。